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ボブ・ディランのアルバム―― part 2 [紙ジャケ]

さて、いよいよ65年のディランだ。
なんてたって『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』である。
「ぜ~んぶ家に持って帰ってるぜ」である。
すごいぞ~(笑。

ディランのことを"フォークのプリンス"だとか"プロテスト・ソングのニュー・ヒーロー"みたいに考えていた当時の「由緒正しい」ディラン・ファン?がこのアルバムを聴いてどんなに驚いたか、想像することはそう難しいことではない。
おそらく椅子から転げ落ちてこぼれたコーヒーは床をびしょ濡れにしただろう。
その驚きととまどいはマイルズ・デイヴィスがジャズに電気楽器を取り入れたのと同じか、それ以上だったに違いない。

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(『ノーディレクション・ホーム』に載せられた『ブリンギング~』のジャケ写の別テイク)


『アナザー・サイド・オヴ・ボブ・ディラン』をレコーディングした1964年6月9日から『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』をレコーディングする1965年1月14日までのおよそ半年のあいだにいったいどんな心境の変化があったんだろう、と思う。
ぼくは熱心にディランのインタヴューや伝記を読んだほうではないので、詳しいことはわからないが、ディラン自身もそのあたりについてははっきりしゃべっていないらしい。
昔から言われているのは"ビートルズからの影響"で、それはあまりにも安直な考えみたいだけれど、ぼくは案外そんなもんじゃないかと考えている。

ファースト・アルバムはほとんどがトラディショナルやブルーズのカヴァーだった。
セカンドの『フリー・ホイーリン』とニューポート・フォーク・フェスティヴァルのステージで、ディランは"プロテスト・ソングを歌うフォークのプリンス"になった。
そして4th アルバム『アナザー・サイド』ではプロテスト・ソングを捨てて個人的なラヴ・ソングや幻想的な世界を歌にした。
ディランは周囲の評価や期待には無頓着に自分のやりたいことをやっていただけなのだ。
『アナザー・サイド』録音直前の英国ツアーでビートルズを訪ねたディランは、そこで自分とはまた違ったオーラを放つロック・スターに出会い、自分の世界をさらに前進させるためにはロックのアグレッシヴでプリミティヴなパワーが必要だと感じたのではないだろうか。

05 『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(1965)

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ケニー・ランキン(g)やボビー・グレッグ(ds)といったメンバーを従えたバンドによるロック・サウンド(B面では生ギターとハーモニカだけというアコースティック・ナンバーも何曲か登場する)が衝撃的だった5th アルバムは65年3月にリリースされた。
プロデュースは前作と同じトム・ウィルスン。

A-1「サブタレニアン・ホームシック・ブルーズ」は、今の耳で聴くとまるで2拍子みたいなリズムがロックというよりマーチ風に響くが、A-2の「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」をB面にしてシングル・カットされ、全米トップ40に届くヒットになった。
今までと同じような曲想をもった曲を単にバンド・サウンドに載せただけ、というやや未消化なものもあるが、エレクトリック・ギターのオブリガードが美しい「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」、妻となるサラ・サウンズに捧げた美しいラヴ・ソング A-4「ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット」、65年のニューポート・フェスティヴァルのオープニングを飾った衝撃のA-3「マギーズ・ファーム」、バーズにカヴァーされて"フォーク・ロック"の嚆矢とされる B-1「ミスター・タンブリン・マン」、映画『イージー・ライダー』に挿入されて印象的だった B-3「イッツ・オールライト・マ(アイム・オンリー・ブリーディング)」、前述のニューポート・フェスティヴァルでブーイングの後に再登場してアコギ1本で歌ったという伝説的な B-4「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー」など名曲がこれでもかと詰まっている。

ディランのマネージャー、アルバート・グロスマンの妻サリー・グロスマンがタバコをふかすジャケットもかっこいい。
全米6位を記録しプラチナ・アルバムに認定された。

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紙ジャケは2004年8月のリリースで、03年のデジタル・リマスターを使用している。
コーティングのないA式のシングル・スリーヴで、レーベルは2アイズのオレンジ・レーベルだ。

06 『追憶のハイウェイ61』(1965)

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先行シングル「ライク・ア・ローリング・ストーン」が全米№1に輝いた6th アルバム『追憶のハイウェイ61』は65年8月のリリース。
プロデュースは65年6月15日(つまり今からぴったし44年前)にレコーディングされた「ライク・ア・ローリング・ストーン」だけが前作までと同じトム・ウィルスンで、それ以降はボブ・ジョンストンに交代している。

ギタリストとして参加するつもりだったアル・クーパーがマイク・ブルームフィールドのギターを聴いて畏れをなし、ほとんど触ったこともないオルガンを弾いたエピソードは有名だが、この話、ぼくはちょっとマユツバだと思っている。
いくらなんでも初めてでここまでは弾けないでしょ?
それぐらいA-1「ライク・ア・ローリング・ストーン」やA-5「やせっぽちのバラッド」のアル・クーパーはすばらしい。
A-2「トゥームストーン・ブルーズ」、A-3「悲しみは果てしなく」、タイトル・ソングのB-2、11分半に及ぶB-4「廃墟の街」など、このアルバムをもってディランの最高傑作とする評価に相応しい名作である。

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全米3位を記録し、プラチナ・アルバムに認定されている。

紙ジャケはディランが着ているシャツの色の再現にもこだわったSony Music入魂のジャケットで、コーティングのない厚紙A式のシングル・スリーヴを再現している。

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(右側、03年リリースのSACDとのハイブリッド盤と比較すると一目瞭然だ)

2004年8月のリリースで、音源は03年のデジタル・リマスターを使用している。

07 『ブロンド・オン・ブロンド』(1966)

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ディラン初のダブル・アルバム『ブロンド・オン・ブロンド』は66年5月にリリースされ、2枚組にもかかわらず全米9位を記録、ダブル・プラチナ・アルバムに認定された。
プロデューサーは前作同様ボブ・ジョンストンだが、最初にレコーディングされた「スーナー・オア・レイター」以外はテネシー州ナッシュヴィルで録音されている。

A-1「レイニー・デイ・ウーマン」に始まり、アナログのD面すべてを使ったD-1「ローランドの悲しい目の乙女」に終わる全14曲は今聴いてもため息しか出ないほどの傑作。
ジョーン・バエズをモデルにしたといわれるA-3「ジョアンナのヴィジョン」、ホークス(のちのザ・バンド)をバックにしたA-4「スーナー・オア・レイター」、シンプルなラヴ・ソングB-1「アイ・ウォント・ユー」、吉田拓郎の「春だったね」の元歌B-2「メンフィス・ブルーズ・アゲイン」、今でも代表作の一つであるB-4「女の如く」、もうとにかくかっこいいフォーク・ロックのC-1「我が道を行く」…。

「レイニー・デイ・ウーマン」も「サブタレニアン・ホームシック・ブルーズ」と同じでマーチみたいなリズムなのだが、わずか1年のあいだに完璧にロックしているところがさすがだ。
それにしてもだれ憚ることなく「もう、みーんなストーンしなくちゃ!」と声高に歌われる「レイニー・デイ・ウーマン」のなんと衝撃的なこと!
ここからジョンの「ストロベリーフィールズ」まではもうほんとにわずかな距離しかない。

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(同じく『ノーディレクション・ホーム』に載せられたジャケ写の別テイク)

紙ジャケは2004年8月のリリースで、その詳しい仕様についてはメイン・サイトの「紙ジャケCDの誘惑」で紹介しているので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。
音源は03年のデジタル・リマスター、レーベルは2アイズ・タイプだ。

08 『ジョン・ウェーズリー・ハーディング』(1967)

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ディランは前作『ブロンド・オン・ブロンド』リリース直後の66年7月29日、自宅近くのニューヨーク州ウッドストックでバイク事故を起こし瀕死の重症を負ってしまう。
長い活動休止期間を経てオリジナル・アルバム第8作となる『ジョン・ウェーズリー・ハーディング』が録音されたのは1967年の10月から11月にかけて、リリースされたのは年の瀬も押しつまった12月27日だった。
多くのファンが待ち望んだアルバムだったこともあってか、アルバムは全米2位まで上りつめ、プラチナ・アルバムを獲得している。

演奏はディランのアコースティック・ギター、ハーモニカとピアノ、ケニー・バトリーのベース、ピート・ドレイクのドラムスというシンプルな形態(最後の2曲だけチャーリー・マッコイのスティール・ギターが加わっている)で、アコースティックなサウンドは原点回帰とも思われた。

歌詞も前作までの饒舌は影を潜め、シンプルで寓意に満ちたものになっている。
A-1「ジョン・ウェーズリー・ハーディング」のモデルになったジョン・ウェーズリー・ハーディンは実在の人物で、43歳で死刑になるまで42人の人を殺害したといわれる。
一説ではティム・ハーディンの先祖ともいわれているが、アルバムのなかでは貧しいものの味方として歌われている。
鎖につながれた少女が出てくるトラディショナル・ソングのようなA-2「ある朝でかけると」、ジョーン・バエズもカヴァーしたA-3「聖オーガスティンを夢で見た」、ジミ・ヘンドリクスのカヴァーで有名な、ペテン師と泥棒が登場するA-4「見張り塔からずっと」など、いずれも寓話的な歌詞とボブのていねいで瑞々しい歌唱が印象的だ。

典型的なフォーク・ソングっぽいB-2「おれはさびしいホーボー」やB-3「あわれな移民」など、たしかに原点回帰と考えられないこともない。
けれどもB-1「拝啓地主様」など、歌詞はプロテスト・ソングっぽいが曲はピアノも入ってずいぶん洗練された感じになっている。
そしてスティール・ギターがカントリー・テイストののどかな響きを聞かせるラストのA-6「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」は次回作『ナッシュヴィル・スカイライン』を思わせる。

それにしても1967年という、サイケデリック・エラのどまんなかにこれほどシンプルなアルバムを出してしまうディランはやはりただ者ではない(笑。

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紙ジャケはこれも2004年8月のリリースで、03年のデジタル・リマスターを使用している。
コーティングのないA式のシングル・スリーヴで、レーベルは2アイズのオレンジ・レーベルになっている。
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遮断機さん

今回は名盤だらけでどれも好きですが(前回のコメント早すぎましたね)、『ジョン・ウェーズリー・ハーディング』は未聴です。(汗
by 遮断機さん (2009-06-14 18:34) 

parlophone

遮断機さん、どうもです。

>今回は名盤だらけでどれも好きですが(前回のコメント早すぎましたね

『ブリンギング・イット~』でいうと、遮断機さんの好きな曲というのはぼくの好きな曲とかぶってますね。
やっぱりロックっぽい曲になってしまいますが、それぐらい名曲ぞろいということでしょうね。

『ジョン・ウェーズリー・ハーディング』もかなりいいと思います。
いつか機会があったらぜひ聴いてみてください。
by parlophone (2009-06-14 19:00) 

Backstreets

私がボブ・ディランに惹かれ始めた中学生の頃、家にあったディランのアルバムは『Bringing It All Back Home』、『Highway 61 Revisited』、『Blonde On Blonde』の3タイトル。兄が所有していたものです。
ロック・バンドでキー・ボードを担当していた兄はディランの歌に興味があったというよりもアル・クーパーが目当てだったようです。その後は私自身がディランのアルバムを買い求めました。
アル・クーパーがディランのレコーディング・セッションに参加するまでキー・ボードを弾けなかったという話は怪しく思います。私の知っているいきさつはギタリストとしてディランのもとに売り込みにいったクーパーがマイク・ブルームフィールドがいるので間に合っていると言われ、「それならキー・ボード奏者はいらないか。俺は鍵盤も達者だぜ」と腕前を示して採用されたという逸話です。
そちらのほうが信憑性があると思うのですが、どうでしょうか。
by Backstreets (2009-06-14 20:20) 

MORE

やはりディランというとこの時期がアーティスティックという意味での頂点ですね。
「時代は変わる」を買ってハマってしまった小6だった私は、その後「雨の日の女」「窓からはいだせ」「スーナー・オア・レイター」「淋しき4番街」の4曲入りEPを買ったのでした・・・(このEP,その後友人に売ってしまったんですよねー)
Don't Look Backでのディラン、カッコ良すぎです・・・
レノンが強烈な影響を受けたのって理解できますよね。
ディランは偉大な詩人でありアジテーターであり、ロックンローラーであり、フォークシンガーでもありブルーズマンでもあった・・・(ある、ですね?)
しかも、素晴らしいメロディー・メーカーでもあるんだから凄いです。

アル・クーパーのオルガンの話はNo Direction Homeでの彼のコメントを信用するとなると、キーボード・プレイヤーがオルガンからピアノに変えたのを見たアルが「だったら俺がオルガンを弾く!」と勝手に弾き出し、ディランがアルのパートを気に入って採用された、と。
まだその時、彼も20歳そこそこだったんだから凄い・・・
ロックの歴史に残るレコーディングですね。

by MORE (2009-06-14 22:00) 

parlophone

Backstreetsさん、こんばんはー。

>兄はディランの歌に興味があったというよりもアル・クーパーが目当てだった
>ようです

わかるような気がします。
当時のロック・シーンのなかでこれほどかっこいいキーボードはなかったでしょうね。
リトル・リチャードとかイアン・スチュアートとか、ピアノを弾く人はいても、オルガニストって珍しかったような気がします。

>「それならキー・ボード奏者はいらないか。俺は鍵盤も達者だぜ」と腕前を示して
>採用されたという逸話

ああ、そんな話があったんですね。

『ノー・ディレクション・ホーム』を見ると、トム・ウィルスンに「オルガンを弾かせてよ」と頼んでも、「君はギタリストだろ」と言って埒が明かない。
それでトムが電話で外に出た隙にオルガンの前に座って弾いたのをディランが気に入った、みたいに言ってますね。

いずれにしてもズブの素人、というわけではなかったみたいですね^^
by parlophone (2009-06-14 22:41) 

parlophone

MOREさん、こんばんはー。

Backstreetsさんへのレスのために、『ノー・ディレクション・ホーム』のDVDでアルのコメントを確認しながら、横目でFOX TVの『アメリカン・アイドル』の決勝選を見ていたら、MOREさんの書き込みとダブってしまいましたね~(笑。

>「雨の日の女」「窓からはいだせ」「スーナー・オア・レイター」「淋しき4番街」
>の4曲入りEP

わあー、このEPほしいなあ~。

>Don't Look Backでのディラン、カッコ良すぎです・・・

ほんとですね。
「サブタレニアン・ホームシック・ブルーズ」のプロモ・フィルムもかっこいいし。

>ディランは偉大な詩人でありアジテーターであり、ロックンローラーであり…

おっしゃるとおりですね。
これだけすごい人はもう出ないかもしれない、という気がします。
新作はまだ聴いてませんが、すごく聴きたくなってきました^^;
by parlophone (2009-06-14 23:07) 

DEBDYLAN

遼さんこんばんは♪

どのアルバムって言えないんですが^^;
紙ジャケCDってことにこだわったらダントツ印象深いのは
『ブロンド・オン・ブロンド』ですねw

前にも話しましたが、
コレ遼さんのHPでの解説見て欲しいと思ったんですから^^。

僕が紙ジャケCDに目覚めたのは遼さんのおかげなんですよ~♪
最初に意識して買ったのはイーグルスの『呪われた夜』でした。

話逸れた^^;

地味なアルバムだけど好きなのは、
『ジョン・ウェーズリー・ハーディング』です。

実はライヴが大好きなディラン(だと勝手に思ってます)
今なお続く”ネヴァー・エンディング・ツアー”とか、
意外とこのアルバムからの選曲が多い気がします。

サウンド的にもこの辺りのシンプルな構成を、
エレクトリックに置き換えたような気がしてます。

フォーク時代への回帰ってのとは違うけど、
ある意味今のディランの原点みたいな音や楽曲なんじゃないんでしょうか?
ってのはかなり大胆過ぎますが^^;

お気に入りの1枚です^^。

異色作だけど、
『ナッシュビル・スカイライン』もなかなかですよ♪

by DEBDYLAN (2009-06-18 23:13) 

parlophone

DEBDYLANさん、こちらにもnice!&comment、どうもありがとうございます。

>僕が紙ジャケCDに目覚めたのは遼さんのおかげなんですよ~♪

そうだったんですか~。
うれしいような罪作りのようで申し訳ないような…(笑。

>最初に意識して買ったのはイーグルスの『呪われた夜』でした

おお、そうでしたか。
ぼくの「紙ジャケCDの誘惑」のページで、国内盤のアナログと比較してよくできてるって記事を書いたんですが、そのあとUK盤のアナログを手に入れたらこれがまたすごい凝ったジャケットで、紙ジャケはよく健闘はしてるけれど、まだまだ…と思ってしまいました(笑。

>『ジョン・ウェーズリー・ハーディング』…
>ある意味今のディランの原点みたいな音や楽曲なんじゃないんでしょうか?
>サウンド的にもこの辺りのシンプルな構成を、
>エレクトリックに置き換えたような気がしてます

"ネヴァー・エンディング・ツアー"のことはよく知りませんが、たしかに『ジョン・ウェーズリー・ハーディング』は渋くていいアルバムですね。
おっしゃるとおりある意味普遍的なディラン・サウンドというのがこのあたりにあるような気はします。
ディランのサウンドって、エレキやオルガンを入れても、やってることはアコースティックのころとそんなに変わらない気がしますね。
そういう意味ではディランが65~6年ごろのインタビューで「じぶんでは変わったとは思っていない」と答えているのは、案外本音かなと思います。

>『ナッシュビル・スカイライン』もなかなかですよ♪

じつは以前プラケで持ってて処分しちゃったんですよね~。
今聴いたら、また印象が違うかもしれませんね。
機会があったらまた聴いてみたいと思います^^
by parlophone (2009-06-18 23:40) 

chitlin

社会的にも激動の凄い時代だったでしょうね〜。
遼さんやコメント入れてらっしゃるほかの皆さんよりも断然、浅いですけどやっぱりこの時期がいちばん馴染みがあります。

まさに“ディランがロック”ってな感じでしょうか。
by chitlin (2009-06-22 00:47) 

parlophone

chitlinさん、こんばんはー。

>社会的にも激動の凄い時代だったでしょうね〜

そうですよね。
アメリカではJFKの暗殺に始まって、キング牧師やロバート・ケネディ司法長官が殺され、ベトナム戦争は泥沼化して引くに引けなくなり、公民権運動によって黒人の権利がやっと少しずつ認められるようになり、サイケデリック・ブーム、ヒッピーとフラワー・ムーヴメント…。
あらためてすごい時代に生きてきたんですよね。

ぼくもジョン・F・ケネディが大統領に当選したときのセレモニーや、葬儀のようすをTVで見た記憶がありますからね。

>まさに“ディランがロック”ってな感じでしょうか

うまい!^^
いずれにしてもロックの時代を築いた紛れもない張本人がここにいるって感じですね~。

by parlophone (2009-06-23 01:01) 

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